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SEMINAR ROOM

セミナ ー 室

有用生物のゲノム研究の現状-2

枯草菌二成分制御系のDNAマ イクロア レイ解析 を中心 に

藤田泰太郎福山大学生命工学部

枯草菌 は, グラム陽性菌の代表 として, 大腸菌 と並ぶ

基礎研究の歴史 をもっている. 特に, 細胞分化のモデル

とみなされる胞子形成の分子レベルでの研究 は, 他の生

物における細胞分化 の研究 を凌駕する とい える. さら

に, 枯草菌 はα-ア ミラーゼやプロテアーゼな どの菌体

外酵素, ペプチ ド系抗生物質などの生産菌 として, 重要

な応用微生物の一つに数えられている.

日本 にお ける枯草菌 のゲ ノム研究 は, 1991年 ゲ ノ

ム全塩基配列決定のためのモデル生物 として取 り上 げ

られたことに端 を発す る. 当時, 日欧協力プロジェク

トが組織された. このプロジェク トの順調な進展 によ

り, 1997年 に枯草菌ゲノムの全塩基配列が Nature 誌 に

公表 され(1~3), 日欧 でそのデータベース も構築 された

(http://bacillus.genome.ad.jp, http://genolist.pasteur.

fr/SubtiList/). この年以来, 枯草菌研究 もポス トゲノム

シーケンス時代 に入 り, 枯草菌ゲノムの機能解析を目指

す新たな日欧協力プロジェク トが組織されるなど, ゲノ

ム配列情報を基にした機能解析が精力的に推進 され, 5

年あまりが経過している. このように枯草菌のゲノム研

究は, 国際的な貢献度から鑑みても, 我が国の原核生物

のゲノム研究を先導 してきたといえる.

ポス トゲノムシーケンス時代の幕開けとともに, ゲノ

ム情報を基 にして次のような解析が行なわれている.

(1)ゲノムの全塩基配列決定 によ り存在が明 らか にな

った, 多 くの機能が推定で きない新規遺伝子の機能解

析. 枯草菌ゲノムの全塩基配列が明 らかになった結果,

4,100の 蛋白質遺伝子が同定 され, その半数以上が機能

を特定で きない新規遺伝子であった. こうした遺伝子の

機能解析を目指 し, 体系的に遺伝子破壊株のバンクを作

成 し, その表現型のスクリーニングを行なった.

(2)ゲノム配列情報 を基にして, 種々の培養条件で増殖

させた細胞のプロテオームを解析 し, いかなる蛋白質が

合成 されているかを網羅的に明らかにする. 枯草菌のプ

ロテオーム解析は, ゲノムの塩基配列決定 とともに着手

544 化学 と生物 Vol. 40, No. 8, 2002

され, 我が国や欧州で蛋白質2次 元電気泳動のスポット

の同定な どが精力的に行なわれてきている.

(3)種々の培養条件で増殖 させた細胞でのゲノムの全遺

伝子の発現 を捉 えるとい うトランスク リプ トーム解析

が, DNAマ イクロアレイ (あるいはマクロアレイ) 技術

の進展により可能 になっている. 我が国で も, 2年 前に

枯草菌のマイクロアレイ解析が可能 とな り, 精力的に ト

ランスクリプ トーム解析が進め られている.

(4)分析機器の発展 により, 細胞内の多数の代謝産物 を

組織的に定量化することが可能 となってきた. このメタ

ボローム解析は, ゲノム配列情報に基づいた解析ではな

いが, 細胞の遺伝子発現制御 を網羅的に捉え, そのネッ

トワークを構築するためには必須の解析である. 最近,

枯草菌を対象に, メタボローム解析が本格的に始まって

いる.

本稿では, 枯草菌の新規遺伝子の体系的な機能解析,

プロテオーム解析, トランスク リプ トーム解析, さらに

メタボローム解析へと筆を進める. このうち筆者 らが従

事 している, 体系的な トランスクリプ トーム解析 を中心

に述べる.

枯草菌の機能未知遺伝子の体系的機能解析

枯草菌ゲノムの全塩基配列が決定する1年 前の1996

年, 奈良先端科学技術大学院大学の小笠原教授 とフラン

スINRA (Institut National de la Recherche Agrono-

mique) の Ehrlich 博士が主催 して, 日欧の枯草菌研究

室 による協力 プロジェクト 「枯草菌ゲノムの機能解析」

が組織された. このプロジェク トは, 枯草菌ゲノムの配

列決定の結果同定された4,100の 蛋白質遺伝子のうち,

半数近 くにのぼる機能未知遺伝子を主たるターゲッ トと

して, その機能を組織的に解明せん とする ものであっ

た(3~8). 具体的には, 日欧で同一のプラス ミドベクター

(pMUTIN) を用いた挿入遺伝子破壊株のパンクを作成

し, その表現型 をスクリーニングするものである. 1999

年 までの3年 間の協力研究により, 日欧で各々1,000あ

まりの挿入破壊株 を作製 し, その総数は2,072株 に達 し

た. 欧州では枯草菌ゲノムプロジェク トの再編のため,

さらなる破壊株 の作製 は行 なわれなか ったが, 日本で

は継続 され, 枯草菌機能未知遺伝子ほ とん どをカバ ー

する, 2,776遺 伝子についての挿入破壊株バンクが完成

した.

この網羅的挿入破壊株作製の過程で, 破壊 に伴い致死

に至 る遺伝子が特定されてきた. これ らが必須遺伝子で

あることを確認するために, その遺伝子の発現 をIPTG

(isopropyl-β-D-thiogalactoside) 依存性 にした変異株

について, その増殖がIPTG依 存性になるか どうかを検

定 した. その結果, 枯草菌の富栄養培地を用いた37℃で

の増殖に必須な132の 遺伝子を同定す ることができた.

この知見 と既知遺伝子の情報 を統合すると, 270の 遺伝

子がこの増殖条件での必須遺伝子 とみなされた(8). この

成果 は, 一つの生物の必須遺伝子セ ットを実験的に初め

て明らかにした ものとして, 非常に大 きな意義をもって

いる. さらにこれ らの必須遺伝子の うち, 28遺 伝子が機

能未知であり, シグナル伝達に重要な役割 を果たしてい

るGTP結 合蛋白質ファミリーの9遺 伝子のうち6遺 伝

子がこれ らの機能未知必須遺伝子 に数えられ, また1対

の二成分制御系の遺伝子も含 まれた. これらの必須遺伝

子の機能解析 は, 今後の重要な研究課題 とな るととも

に, グラム陽性病原菌に対する化学療法剤 を開発する上

でのターゲ ット遺伝子 として も注 目されている.

機能未知遺伝子の挿入破壊株 のバ ンクが完成 したの

で, これ ら破壊株 をプロジェク トに参画する各研究室に

配布 し, 各々独 自に開発 したプロ トコールを用いて, 組

織的な変異株の表現型検索 も精力的に推進 された. 日本

でスク リーニングされた約1,000の 変異株のうち, 40%

強に何 らかの性質の変化が認 められた(5,7,8). これらのス

クリーニングのうち, 炭素源の資化能や胞子形成 と発芽

能の欠損については特異的な機能 に迫ることが容易であ

り, 実際そのような研究成果が挙 げられつつある. この

「枯草菌ゲノムの機能解析」プロジェク トの成果は, 日本

では前述のデータベース (http://bacillus.genome.ad.

jp) で発表され, 欧州では新たなデータベース (http://

locus.jouy.inra.fr/) が作成された.

枯草菌のプロテオーム解析

ある生物の全ゲノム配列が決定すると, その細胞の蛋

白質分画を2Dゲ ルに展開 し, スポット中の微量蛋白質

についてN末 端 のア ミノ酸配列を若干決定す ることに

より, 対応する遺伝子を同定することが可能 となる. ま

た, これら微量蛋白質を配列特異的プロテアーゼにより

切断 し, 断片の大 きさを質量分析機 (MS) で測定してゲ

ノム配列 と照合する, マスフィンガープリント法による

対応遺伝子の同定 もできる. 枯草菌では, 小笠原教授 と

宮崎医科大学の中山教授, ドイツ Ernst Morits Arndt

大学の Hecker 教授が中心 とな り, 蛋白質2次 元電気泳

動の標準 プロ トコール を用 いて2Dゲ ル上の約500ス

ポッ トの蛋白質が遺伝子 と対応づけられ, Ernst Morits

Arndt 大学 で その デー タベ ー ス も作成 され て い る

化学 と生物 Vol. 40, No. 8, 2002 545

(http://microbio2.biologie.uni-greifswald.de:8880/).

さらに日本でも, カタボライ ト抑制下にある蛋白質, 胞

子形成期の各ステージに特異的に合成される蛋白質, 分

泌蛋白質, 細胞壁を構成する蛋白質など, ある特定の細

胞機能に関連する遺伝子群を検索するために2次 元電気

泳動 を利用する試みが, い くつかの研究室で積極的に進

められている. これ ら日本のプロテオーム解析 の成果

は, 総説 としてまとめられているのでそちらを参照され

たい(5,9).

最近の分析機器のさらなる発展によ り, 細胞や細胞器

官その ものに含まれる蛋白質を組織的に同定することも

可能 となってきた. その方法 とは, 1次 元 のSDS電 気

泳動で分離 した後, 各バン ドを切 り出し, 抽出 ・分離 し

た蛋白質混合物をプロテアーゼで低分子化, 液体 クラマ

トグラフィー (LC) で分離後, タンデムMSに かけると

いうものである. 小笠原研究室 と摂南大学の渡部研究室

では, この方法を用いて枯草菌胞子を構成する蛋白質約

200種 類の同定に成功 している (未発表). また, 蛋白質

複合体を分離し, 上記のLC/MS/MSに かけることによ

り, その複合体の構成蛋白質 を同定する試みも進んでい

る. さらに, 蛋白質間の相互作用を明らかにするため,

東京農業大学の吉川研究室で, 蛋白質間の相互作用の有

無を感知する酵母2ハ イブリッド系の枯草菌ゲノムライ

ブラリーが作成され, 興味ある相互作用が特定 されてき

ている (未発表).

枯草菌の トランスク リプ トーム解析

1. 枯草菌のマイクロアレイ技術の開発

「枯草菌ゲノムの機能解析」プロジェク トの一環 とし

て, 日本では約500kbに わたる領域の遺伝子の網羅的な

ノーザン解析 も実施 され(5,6), http://bacillus.genome.

ad.jp にデータベース化 されている. この研究成果 と枯

草菌 ゲノムの全塩基配列を基 にして, 筆者 らは枯草菌

のDNAマ イクロアレイ解析技術の開発に取 り組 んだ.

2000年 初頭, 枯草菌DNAチ ップを作成 し, その年の夏

か ら信頼できるDNAマ イクロアレイ解析が行なえるよ

うになった. 筆者 らが開発 した方法 は, mRNAが ポリ

(A) 末端をもたないためにmRNAを 精製することが困

難な原核生物のマイクロアレイ解析で, 非特異的なハイ

ブリダイゼーションのシグナルによるバ ックグラウン ド

を抑える方法 として有効であ り, 次のような方策を取 っ

ている(10~12).

(1)螢光色素Cy3お よびCy5で ラベルしたcDNA調 製

に2段 階螢光ラベル法を用いた. まず, 標準RNAと 実験

RNAを, ア ミノアリル-dUTPを 用いて逆転写によりア

ミノア リル化 する. 次に, 各々のア ミノア リル化 した

cDNAを, それぞれN-ヒ ドロキシスクシンイミド-Cy3

とヒドロキシスクシンイミド-Cy5で カップ リングさせ

螢光 ラベルする. この方法 により, 従来のCy3-dUTP

とCy5-dUTPを 用いた1段 階でのcDNAの 螢光 ラベ

ル法で見 られた, 基質の違いに起因する微妙な逆転写伸

長反応の違いによる実験誤差を除外できた.

(2)逆転写反応のプライマー として, 枯草菌チップ作成

時に用いた全4,100遺 伝子を増幅するためのプライマー

の うち, mRNAに 相補的なプライマーの混合物 を用い

た. さらに, 耐熱性の逆転写酵素を用いた反応を60℃で

行ない, またDNAチ ップとのハイブリダイゼーション

を70℃で 行なった. このようにして, 非特異的なハイブ

リダイゼーシ ョンやパ ラローグ間のクロスハイブリダイ

ゼーションをかなり抑 えることができた.

2. 枯草菌転写制御ネ ッ トワーク解明を目指すDNAマ

イクロア レイ解析

筆者 らは, 2000年 度 より枯草菌の転写制御ネ ットワ

ークの解明 を目指すプロジェク トに取 り組んでいる. 枯

草菌遺伝子発現制御 ネットワークの根幹 は, 全18個 の

RNAポ リメラーゼのシグマ因子, 35個 の二成分制御系

の応答制御因子, および200個 あ まりのHTH (helix-

turn-helix) 蛋白質により形成されていると考 えられる.

シグマ因子は, 細胞の増殖や胞子形成, あるいは環境適

応における遺伝子の転写制御を支配し, 二成分制御系の

応答制御因子やHTH蛋 白質群は, 各々の傘下にある遺

伝子の転写制御 を通 じて, 栄養素などの種々の環境変化

や特殊環境に対応する. これ らの半数以上 は, 既知の制

御蛋白質 との相同性から制御蛋白質であると推定された

ものであり, 個々の制御蛋白質が具体的にどの遺伝子群

の制御 に関わっているかなどの機能については不明であ

る. 枯草菌の転写制御ネ ットワークは, これら機能既知

および未知の全制御蛋白質が支配するレギュロン発現の

総和であると考えられ, このネットワークを明らかにす

るには, これら個々のレギュロン構成遺伝子をオペロン

単位 に整理 し, 制御の様相を把握することが必須 となっ

て くる. そのための手段が, DNAマ イクロアレイ解析に

よる種々の培養条件で発現をともにする遺伝子のクラス

タリングであ り, 制御蛋白質遺伝子の変異株 を用いた標

的遺伝子候補の同定である.

この目的のために筆者 らが進めたDNAマ イクロアレ

イ解析 は, カタボライ ト抑制の解析, 種々の炭素源およ

び窒素源での増殖時の遺伝子発現解析, 転写制御蛋白質

546 化学 と生物 Vol. 40, No. 8, 2002

遺伝子変異株を用いた標的遺伝子の解析, 胞子発芽 と

outgrowth 期の経時的遺伝子発現の解析などである. ま

た小笠原らは, 枯草菌増殖時 と胞子形成期の経時的遺伝

子発現の解析, 種々のス トレス下での遺伝子発現の解

析, 転写制御蛋白質遺伝子変異株を用いた標的遺伝子の

解析などを実施 した. 両者で行なわれたDNAマ イクロ

アレイ解析はすでに200以 上を数える. これまでに筆者

らが実施 したDNAマ イクロアレイ解析のうち, 枯草菌

のカタボライ ト抑制(11)と炭素代謝の解析 は, すでに本誌

で紹介 した(13). その他, 内容的にまとまっているものを

2つ 紹介する.

1) 枯草菌の正の転写制御蛋白質のDNAマ イクロアレ

イ解析

DNA結 合転写制御蛋白質は, 特定の標的遺伝子に対

して正あるいは負の制御 を行なう. この中でシグマ因子

は正の制御のみを司 り, また二成分制御系の応答制御因

子 も主に正の制御 を司ると考 えられている. 転写制御蛋

白質が正の制御因子 として作動する場合には, その機能

が発現 していない培養条件で強制的に過剰発現 させ る

と, それ らの標的遺伝子の発現が上昇す ると予想 され

る. したがって, 制御蛋白質遺伝子 を強制的に発現 させ

た場合 とさせない場合 とでDNAマ イクロアレイ解析 を

行なえば, 発現が上昇 した遺伝子 を制御蛋白質の標的遺

伝子候補 と考えることができる.

このDNAマ イクロアレイ解析の長所 は, 制御蛋白質

の機能が不明でもその標的遺伝子 を抽出でき, もし標的

遺伝子群に既知の遺伝子が含まれていれば, 制御蛋 白質

が司る機能を類推できることにある. もっとも, 探 して

いる標的遺伝子が, 培養実験条件で強制的に発現 させた

制御蛋白質以外の蛋白質の制御下にあれば, たとえ標的

遺伝子であって も抽出できないことに留意しなければな

らない. この強制 発現系 を用 いた正 の制御蛋 白質 の

DNAマ イクロアレイ解析 に最 も適 していると考えられ

たのが, 通常の培養条件では作動していない と考 えられ

るECF (extracytoplasmic function) ファミリーのシ

グマ因子群 と, 二成分制御系の標 的遺伝子であった.

ECFフ ァミリーのシグマ因子群 については, 抽出 した

標的遺伝子の網羅的な解析 も終了 しているが, 誌面の都

合 により, ここでは二成分制御系のマイクロア レイ解

析(12,14)結果 について詳 しく述べる.

二成分制御系は, 細菌をはじめ酵母や植物にも広 く存

在する. これは外界のシグナルを感知 して自己 リン酸化

するセンサーキナーゼ と, その リン酸 を受け取 り標的遺

伝子の発現制御にあたる応答制御因子 とい う2つ の成分

から成 り立つ系である. 枯草菌 に存在する35個 の二成

分制御系の中で, 最初 に強制発現系でのマイクロアレイ

解析が作動するか どうかを検討したのが, これ までよく

研究されてきた DegS-DegU 系である.

図1に 示すプラス ミド (pDG148) に, degU 遺伝子 と,

蛋白質生合成の開始複合体形成に関与するシャイン-ダ

ルガーノ (SD) 配列を含むDNA断 片 をクローン化し,

IPTGを 加えて培養す ると, degU 遺伝子を強制発現す

ることがで きる. 図2は, 既知 の DegU 標 的遺伝子 の

一つであるアルカリ性蛋白質分解酵素 (aprE) にレポー

タ ー遺 伝 子 lacZ を もつ野 生株 と degS 欠 損 変 異 株

(ΔdegS) に, 作製 プラスミド (pDG148-degU) を導入 し,

IPTG添 加後の β-ガラク トシダーゼ (β-Gal) の活性を

図1 ■制 御蛋 白質遺伝 子 の強 制発 現系(12)

プラス ミドpDG148は 大腸菌 と枯草菌 との シャ トルベ クターで, その spac プロモーター (Pspac) は大腸菌の lac オペレーターを枯草菌 で

作動するようにした. このプロモー ターの下流 に制御 蛋白質遺伝子 (この場合 degU) をクローン化 したプラス ミドを もつ枯草菌をIPTG

を添加 して培養する と, lacI に コー ドされ る lac オペ ロンの リプレッサーによる抑制が外 れ, 制御蛋白質遺伝子が強制発現する.

化学と生物 Vol. 40, No. 8, 2002 547

追 ったものである. 図2か らわか るように, 野生株 で

は, IPTGで の degU の強制発現 の有無 にかかわ らず

β-Gal が合成される. ところが, ΔdegS 株では, IPTG

を添加 した場合にのみ, β-Gal の合成が認められる. こ

の事実か ら, degS を欠失 させ ることにより外界からの

シグナルが遮断され, DegU が リン酸化されていない状

態, すなわち標的遺伝子の発現が抑 えられた状態に置 く

ことができ, そして, IPTGを 添加 してリン酸化 されて

いない DegU を過剰生産す ることによ り, リン酸化 さ

れた DegU と同じように標的遺伝子の発現 を上昇 させ

た と考えられる. そこで, IPTG添 加の有無で, 培養 した

プラスミド (pDG148-degU) を保持する枯草菌 (ΔdegS)

から調製 したRNAを 使用 して, マイクロアレイ解析に

よる DegU の標的遺伝子の同定を行なった ところ, い く

つかの既知遺伝子を含む遺伝子候補 を抽出するこ とが

できた(12). さらに同じ手法を用いて, DegU と並び詳 し

く解析 されてきた ComA と PhoP の標的遺伝子候補 を

抽出 したところ, 同様 に良好な成果を挙 げることができ

た(12). これ らの成果か ら, 枯草菌における機能未知な二

成分制御系の標的遺伝子の同定 にも, この手法が適用で

きることが示された.

枯草菌では35個 の応答制御蛋白質が同定 されている.

その うち, YycF は対応するセンサーキナーゼ (YycG)

とともに必須蛋白質であり, センサーキナーゼ遺伝子の

破壊ができず, この強制発現 による標的遺伝子同定法は

適用できない. また SpoOF, CheY, YneI, CheV と CheB

の5種 の応答制御蛋白質は, C末 端のDNA結 合 ドメイ

ンをもたず, 過剰発現させても標的遺伝子の発現の変動

が期待で きない. さらに SpoOA と ResD の標的遺伝子

群は, 他の蛋白質の制御 も受けている可能性が高 く, こ

の標的遺伝子同定法は有効ではない と考えられた. そこ

で, DegU, ComA, PhoP を含 めた, 27種 類の応答制御

蛋白質について網羅的なDNAマ イクロアレイ解析 を実

施 した(12,14).

その結果, 23種 の機能未知である二成分制御系応答制

御蛋 白質の標的遺伝子候補(14)の中には, かな りの機能既

知遺伝子が含 まれていた. 例 を挙げると, YdbG-YdbF

系の標的遺伝子候補は走化性に関与する遺伝子群を含ん

でおり, この系が走化性 に関連 していると予想される.

また YvrG-YvrH の標的遺伝子群 には, 細胞壁 あるい

は細胞膜機能 と関係 していると思われる遺伝子群を多 く

含んでいた. このような二成分制御系の標的遺伝子情報

は, 今後の機能既知の二成分制御系の解析をさらに進展

させ るのみならず, 機能未知の二成分制御系の解析にも

大いに寄与するものと思われる.

複数の二成分制御系 (DesK-DesR と YvfT-YvfU, お

よび YvqE-YvqC と YxjM-YxjL と YhcY-YhcZ) の

標的遺伝子候補間に顕著な重複がみられた(14). 図3に,

これらの重複 とそれが示唆する二成分制御系間の相互作

用 を示 した. 興味深 い ことに, YxjL と YvqC お よび

DesR と YvfU は互いに顕著な相同性 を示す. このこと

か ら, 互いに標的遺伝子が重複する二成分制御系は, そ

の進化過程で比較的最近 に倍加 したのではないか と予想

で き, いつどのようにして これ らの二成分制御系が成 り

立ったかについての研究が待たれる.

2) 窒素代謝のDNAマ イクロアレイ解析

枯草菌を含む多 くの細菌 はアンモニアを窒素源 として

図2 ■ΔdegS の もとでの aprE の degU 強制 発 現 に伴 う誘導 発現(12)

aprE 遺伝子 は DegU の標的遺伝子の一つである. この aprE 遺伝子 を lacZ 遺伝子 と融合 させる と, β-ガラク トシダーゼ (β-Gal) 活性 を

測定す ることによ り aprE 遺伝子の発現 を追跡 することがで きる. サ ンプ リング時間のT0は 増殖終了時間を表わす.

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利用するが, アミノ酸など種々の含窒素化合物の窒素を

も利用する. これ ら種々の窒素源の中で, 枯草菌が最 も

効率よく利用できるのがグルタ ミンである. これに対 し

て, グルタミン酸を唯一の窒素源 とした場合は増殖が遅

くな り, 細胞 を窒素制限状態に置 くことができる. この

中間に位置するのがアンモニアである. そして, 細胞に

とって最 も窒素の供給が満たされた条件 と考えられるの

は, グルタミンとアミノ酸の混合物を同時に供給 した状

態で, 増殖速度が最 も速い. この窒素代謝 を制御 してい

る制御蛋白質 は, グルタ ミン合成酵素である GlnA と3

種のHTH蛋 白質 (TnrA, GlnR お よび CodY) である.

枯草菌の窒素代謝の制御機構については解明されていな

いところが多いが, GlnA が細胞 の窒素の供給度を感知

し, その情報を TnrA や GlnR に伝 えると考えられてい

る.

この複雑な窒素代謝の制御系を明らかにするために,

野生株 と制御蛋白質遺伝子の変異株 を用 いて, 種々の

窒素供給状態でDNAマ イクロアレイ解析を行 なった.

詳細 は誌面の都合で省 くが, これらの解析の結果明らか

になった知見は次の通 りである. (1)枯草菌の窒素代謝制

御には, GlnA に依存する制御系 と依存 しない制御系が

ある. (2) GlnA に依存する制御系 も依存 しない系にも,

TnrA, GlnR と CodY による制御間に密接な関連があ

り, 最近明 らかになった GlnA と TnrA の相互作用のよ

うな蛋 白質間相互作用 を示唆す る知見が得 られた. (3)

TnrA は窒素制限状態で, GlnR と CodY は窒素が十分

ある状態で働 くと考えられていたが, その培養条件での

み機能するのではなく, 他の培養条件で も働 く未知の機

能をもっている.

今後, これ らDNAマ イクロアレイ解析の結果を基 に,

枯草菌の窒素代謝の全貌に迫 りたい.

3. DNAマ イクロア レイ解析 データの公開 と表示法の

開発

現在 までに, 200あ まりの枯草菌のDNAマ イクロア

レイ解析のデータが蓄積 され, さらにその数が増 えつ

つある. これ らのうち論文 として公表 された ものに関し

て は, http://www.genome.ad.jp/kegg/expression/で

公表 している. その他のデータ も順次公開 してい く予

定で ある. また, すでに転写制御因子のデー タベース

図3 ■マ イ ク ロア レイ解析 で 明 らか にな った二成 分 制御 系 間の相 互作 用(14)

DesK-DesR と YvfT-YvfU の各々の標的遺伝子候補 と YvqE-YvqC, YxjM-YxjL, YhcY-YhcZ の各々の標的遺伝子候補 に顕著 な重複

(重な り合 っている円内の数字 は重複数) がみ られる. 前者の重複 は, DesK-DesR と YvfT-YvfU 系の標 的遺伝子群 の中に yvfU 遺伝子が

含 まれ ることで説明で きる. また後者 の重複 は, YxjM-YxjL 系の標的遺伝子群 には応答制御蛋 白質遺伝子 (yvqC と yhcZ) が, YvqE-

YvqC 系の標的遺伝子群 にも yxjL と yhcZ が含 まれ ることから説明できる. 以上 の重複か ら, 矢印で示す二成分制御系の相互作用が示唆 さ

れた.

化学と生物 Vol. 40, No. 8, 2002 549

(DBTBS, http://elmo.ims.u-tokyo.ac.jp/dbtbs/) を 公

開 して い る(15).

DNAマ イ ク ロア レ イ 解 析 の 膨 大 な デ ー タ を 的 確 に表

示 す る こ と も必 要 と な っ て くる. そ こで, 図4に 示 す イ

ン テ ッ クW&G社 と枯 草 菌 のDNAマ イ ク ロ ア レ イ デ

ー タ の表 示 ソ フ ト (枯草 菌 WebGen-Net) を開 発 した.

図 に は, DNAマ イ ク ロ ア レ イ 解 析 に よ り抽 出 で き た

DegU レ ギ ュ ロ ン の 構 成 遺 伝 子 候 補 が 矢 印 で 示 し て あ

る. 実 際 は DegU に よ る正 と負 の 制 御 をカ ラ ー の 矢 印 で

区 別 して い る. 遺 伝 子 の 込 み入 っ た個 所 が オ ペ ロ ン を な

して お り, そ の オ ペ ロ ン が DegU で 制 御 され て い る こ と

を示 して い る.

枯草菌のメタボローム解析

メタボローム とは, ある培 養条件の細胞 内代謝産物

(metabolite) の総体を表わす. 細胞内で遺伝子発現制御

をひき起 こす要因は, 種々の低分子化合物の濃度の変動

と考 えられる. したがって, メタボロームが トランスク

リプ トームさらにはプロテオームを規定 している とさえ

いえる. 近年の分析機器の発展により, 細胞か ら迅速に

抽出した多 くの代謝産物の混合物 を, 各々について組織

的に定量 してい くことが可能 となって きている.

京都大学の西岡研究室では, 世界 に先駆 けて枯草菌の

メタボローム解析が精力的に進められている. 枯草菌細

胞 をメタノールか蟻酸に浸潤 し, 代謝産物 を抽出する.

図4 ■枯 草菌 の転 写制 御 表示 ツ ール (枯草菌 WebGen-Net) によ る表示例

枯草菌 WebGen-Net は, インテ ックW&G社 の吉田美寸夫氏 と共同で開発 された ものであ る. 枯草菌の全蛋白質遺伝子4,100個 をゲノム

の+鎖 にある遺伝子群を外側 に, -鎖 にある遺伝子を内側 に, ゲノム上 の位置に従 い円形 に配置する. DNA複 製の方向 と遺伝子転写の方向

が一致す る傾 向が あるので, 遺伝子配置 には図のような偏 りができる. 現在, この表示 ツールには, DNAマ イクロアレイ解析 で得 られた50

弱の制御蛋白質 のレギュロン構成遺伝子候補 と, 30近 くの種々 の培養条件 で変動す る遺伝子群が取 り込 まれている. また, この ツールでは

遺伝子をゲ ノム上の位置でソー トするこ とにより, 各遺伝子が どの制御下にあるか を一覧表 として示す ことがで き, オペロンを構成する遺

伝子群を類推することも可能であ る. 図中文字 をはりかえた8つ の遺伝子 は, DegU の正の制御下 にあることが実験的に証 明されてい る.

550 化学と生物 Vol. 40, No. 8, 2002

抽 出液 を キ ャ ピ ラ リー電 気 泳 動 に か け, 代 謝 産 物 を 分 離

し質 量 分 析 計 に か け て, 個 々 の代 謝 産 物 を 分 析 す る. 現

在, ア ミノ酸, 有 機 酸 な ど, か な りの 代 謝 産 物 の定 量 が

可 能 とな っ て きて い る. 将 来 は, メ タ ボ ロ ー ム解 析 結 果

と トラ ンス ク リプ トー ム あ る い は プ ロ テ オ ー ム解 析 結 果

とを統 合 させ る こ とに よ り, 低 分 子 化 合 物 を介 した 真 の

遺 伝 子 発 現 制 御 ネ ッ トワ ー ク を構 築 す る こ とが 可 能 に な

る だ ろ う.

日本の枯草菌 ゲノム解析お よびそのポス トゲノムシーケンス解析

を通 じて, 奈良先端大 の小笠原直毅教授 が主導 的役割 を担 って き

た. 本稿 に紹介 した 日本 のポス トゲノムシーケ ンス解析 は, 小笠

原, 筑波大 の山根國男, 信州大の関口順一, 埼玉大 の定家義人, 東

海大の田中暉夫, 東京農工大の竹 内道雄 と佐藤 勉, 立教大の河村

富士夫, 東京農大の吉川博文, 摂南大の渡部一仁, 杏林大の大木玲

子, 宮崎 医大 の中山建男 の各先生 と筆者 を リーダー とする研 究グ

ループの共同研究である.

文 献

1) F. Kunst, N. Ogasawara et al.: Nature, 390, 249 (1997).

2) 小笠原直毅: 蛋白質 核酸 酵素, 42, 2933 (1997).

3) 藤 田泰太郎: 化学 と生物, 36, 106 (1998).

4) 小笠原直毅: 蛋 白質 核酸 酵素, 44, 1512 (1999).

5) 小笠原直毅: 現代医療, 32, 165 (2000).

6) K. Yoshida, I. Ishio, E. Nagakawa, Y. Yamamoto, M.Yamamoto & Y. Fujita: Microbiology, 146, 573 (2000).

7) N. Ogasawara: Res. Microbiol., 151, 129 (2000).8) 小笠原直毅: 蛋 白質 核酸 酵素, 46, 2379 (2001).

9) 中山建男, 高松宏治, 渡部一仁, 山根 國男, 竹 内道雄, 朝 井

計, 笠原康裕, 小林和夫, 小笠原直毅:“ 実験医学別冊”, 羊土

社, 2000, p.221.

10) 藤田泰太郎:“ゲ ノム機能, 発現プロファイル とトランスク リ

プ トーム”, 中山書店, 2000, p.40.

11) K. Yoshida, K. Kobayashi, Y. Miwa, C. Kang, M.Matsunaga, H. Yamaguchi, S. Tojo, M. Yamamoto, R.Nishi, N. Ogasawara, T. Nakayama & Y. Fujita: NucleicAcids Res., 29, 683 (2001).

12) M. Ogura, H. Yamaguchi, K. Yoshida, Y. Fujita & T.Tanaka: Nucleic Acids Res., 29, 3804 (2001).

13) 山口弘毅, 東條繁郎, 藤 田泰太郎: 化学 と生物, 40, 2 (2002).

14) K. Kobayashi, M. Ogura, H. Yamaguchi, K. Yoshida, N.Ogasawara, T. Tanaka & Y. Fujita: J. Bacteriol., 183,7365 (2001).

15) T. Ishii, K. Yoshida, G. Terai, Y. Fujita & K. Nakai:Nucleic Acids Res., 29, 278 (2001).

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