第 10 章 夏季北極海の海氷域減少がもたらす冬季ユーラシア …133 10.1...

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133 10. 1 はじめに 近年の冬季,欧州から極東にかけてのユーラシ ア大陸の中高緯度帯はしばしば強い寒気に見舞わ れ,最近では 2005/06 年,2007/08 年,2009/10 の冬が顕著な低温傾向となっている(図 10.1)。一 方冬季の北極海上では高温状態が続いており(図 10.1),近年の北極海の顕著な海氷減少と関連が深 いと考えられる。海氷域減少は先行する夏~秋にか けて,特に大西洋セクターのバレンツ海からシベリ ア沿岸にかけて顕著である(図 10.2)。近年の冬季 ユーラシアの低温の要因は複数あると考えられる が,我々は北極海の海氷域変動との関連に着目して 研究を進め,先行する夏季~秋季の北極海シベリア 沿岸の海氷面積が例年より少ないと,冬季のユーラ シアは広い領域で有意に低温傾向になることがデー タ解析から確認し,また数値実験でも本質的に再 現されることを明らかにした(本田他,2007, 2008, 2009, Honda et al. 2009)。本稿ではこのデータ解析 の結果および数値実験による大気応答力学・熱力学 過程のメカニズムを示すとともに,ユーラシア大陸 各地が顕著な寒波に襲われた 2005/06 年,2007/08 年,2009/10 年冬の概況も合わせて紹介する。 10. 2 データ解析 初めに,北極海の海氷域変動と冬季ユーラシアの 気象状況の統計的な関係を 1978/79 年~2005/06 28 寒候季の資料で確認する。大気再解析データ JRA-25/JCDASOnogi et al. 2007)及 び NCEP- NCARKalnay et al. 1996),海氷データは英国ハド レーセンターの HadISSTRayner et al. 2003)を用 いた。シベリア沿岸海氷指数(SCI,図 10.2b)は 北緯 72-82 度及び東経 30-180 度で囲まれた領域の 平均海氷密接度として定義する(図 10.2a)。 10.3 は冬平均(12 月~2 月)の 1000 hPa 気温 T1000),海面気圧(SLP),250 hPa 高度を先行す 9 月の SCI(図 10.2b)に回帰させた分布図(図 の符号は反転,少氷時に対応する気温偏差分布)で ある。事前に SCI のトレンドは除去しているが,ト レンドを含めても結果は本質的には変わらない。こ れによると,夏季にシベリア沿岸の海氷域面積が少 ないと,有意に冬平均場でユーラシアの帯状低温 偏差,北極海の高温偏差,欧州から東アジアの高 気圧性偏差が確認できる(図 10.3a-b)。この空間パ ターンは,緯度帯の差異はあるものの 2005/06 年, 2007/08 年,2009/10 年の各冬平均偏差場(図 10.1とも整合的である。上空はバレンツ海上空の高気圧 第 10 章 夏季北極海の海氷域減少がもたらす冬季ユーラシアの低温 本田 明治 1) 1)本田明治 Meiji Honda 新潟大学自然科学系

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10. 1 はじめに

近年の冬季,欧州から極東にかけてのユーラシア大陸の中高緯度帯はしばしば強い寒気に見舞われ,最近では 2005/06年,2007/08年,2009/10年の冬が顕著な低温傾向となっている(図 10.1)。一方冬季の北極海上では高温状態が続いており(図10.1),近年の北極海の顕著な海氷減少と関連が深いと考えられる。海氷域減少は先行する夏~秋にかけて,特に大西洋セクターのバレンツ海からシベリア沿岸にかけて顕著である(図 10.2)。近年の冬季ユーラシアの低温の要因は複数あると考えられるが,我々は北極海の海氷域変動との関連に着目して研究を進め,先行する夏季~秋季の北極海シベリア沿岸の海氷面積が例年より少ないと,冬季のユーラシアは広い領域で有意に低温傾向になることがデータ解析から確認し,また数値実験でも本質的に再現されることを明らかにした(本田他,2007, 2008,

2009, Honda et al. 2009)。本稿ではこのデータ解析の結果および数値実験による大気応答力学・熱力学過程のメカニズムを示すとともに,ユーラシア大陸各地が顕著な寒波に襲われた 2005/06年,2007/08

年,2009/10年冬の概況も合わせて紹介する。

10. 2 データ解析

初めに,北極海の海氷域変動と冬季ユーラシアの気象状況の統計的な関係を 1978/79年~2005/06年の 28寒候季の資料で確認する。大気再解析データは JRA-25/JCDAS(Onogi et al. 2007)及 び NCEP-

NCAR(Kalnay et al. 1996),海氷データは英国ハドレーセンターの HadISST(Rayner et al. 2003)を用いた。シベリア沿岸海氷指数(SCI,図 10.2b)は北緯 72-82度及び東経 30-180度で囲まれた領域の平均海氷密接度として定義する(図 10.2a)。図 10.3は冬平均(12月~2月)の 1000 hPa気温

(T1000),海面気圧(SLP),250 hPa高度を先行する 9月の SCI(図 10.2b)に回帰させた分布図(図の符号は反転,少氷時に対応する気温偏差分布)である。事前に SCIのトレンドは除去しているが,トレンドを含めても結果は本質的には変わらない。これによると,夏季にシベリア沿岸の海氷域面積が少ないと,有意に冬平均場でユーラシアの帯状低温偏差,北極海の高温偏差,欧州から東アジアの高気圧性偏差が確認できる(図 10.3a-b)。この空間パターンは,緯度帯の差異はあるものの 2005/06年,2007/08年,2009/10年の各冬平均偏差場(図 10.1)とも整合的である。上空はバレンツ海上空の高気圧

第 10 章

夏季北極海の海氷域減少がもたらす冬季ユーラシアの低温

本田 明治1)

1)本田明治 Meiji Honda 新潟大学自然科学系

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性偏差と中央アジアの低気圧性偏差が有意で,定常ロスビー波の活動度フラックスは前者から後者への伝播を示している(図 10.3c)。続いて,初冬と晩冬における空間構造の違いに着

目する。図 10.4は 12月及び 2月の地上気温(SAT)及び SLPを,先行する 9月の SCIに回帰させた分布図(図の符号は反転,少氷時に対応する気温偏差分布)である。これによると,夏季にシベリア沿岸の海氷域面積が平年より少ない場合,続く 12

月は日本を含む東アジアを中心に有意に低温(図10.4a),そして 2月は欧州~中央アジア~東アジアにかけて有意な低温域が帯状に広がることを意味する(図 10.4b)。つまり初冬から晩冬にかけて低温な領域が極東から西に延びていく傾向がみられる。対応する海面気圧(SLP)場では 12月にシベリア高気圧の発達に関わる高気圧性偏差が見られ(図 10.4c),2月にかけ偏差中心は西進し,北大

図10.1 冬季(12月~2月)の3ヶ月平均地上気温偏差(℃,寒暖色系陰影),海面気圧偏差(hPa,色等値線)。(a)2005/06年,(b)2007/08年,(c)2009/10年。偏差は1979年~2004年平均の気候値との差。JRA-25再解析データに基づく。

図10.2 (a)9月の北極海の海氷分布(2007年,2005年,1979-2000年平均)。氷縁はHadISSTデータの海氷密接度50%の等値線。(b)シベリア沿岸海氷指数(SCI:北緯72-82度及び東経30-180度で囲まれた領域で定義: 図10.2aの破線)の平均海氷密接度(1979年~2007年)。直線は線形トレンド。(Honda et al. 2009)

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西洋振動の負のパターンとよく似た構造を示す(図10.4d)。このように夏季北極海の海氷変動に伴う冬季ユーラシアの気温場,気圧場の構造は前半と後半で有意に異なることが確認された。特に 12月は日本が寒冬になる場合の典型的な構造をよく反映している。これらの関係が単なる統計的な関係なのか,他の要因の反映なのか,海氷変動の影響なのかを調べるため,数値実験を実施した。

10. 3 数値実験

実験に用いた大気大循環モデル(AGCM)はAGCM for the Earth Simulator(AFES, Ohfuchi et al.

2004)の Ver. 2.5で,分解能は T42L20とした(水平約 2.8度)。9月~12月の北極海シベリア沿岸のみに海氷の多少を設定(多氷は気候値の海氷密接度が 10%以上の海域を 90%に,少氷は気候値の密接度が 90%未満の海域を海氷無しとした。図 10.5は10月の海氷分布の例で,5aは少氷,5bは多氷,5c

は両者の差を示す)し,他の海域の海氷分布と海面水温(SST)は全て気候値に設定した。ちなみに11月~12月の対象海域はバレンツ海付近を除きほぼ密接度 90%以上の海氷に覆われているため,実質的に 9月~10月の海氷域の違いを反映するものとみなしてよい。同じ大気の初期条件より「多氷」,「少氷」それぞれの境界条件で翌 3月まで走らせる感度実験を,コントロールランの 6年目~55年目の 9月 1日を初期値として 50メンバーずつ実施し,「少氷ラン」と「多氷ラン」のアンサンブル平均の差の場に着目した。応答のメカニズムを明瞭にみるため,このうち 25メンバー(6-16,27-40年目)を抽出し解析を行なった。全 50メンバーを用いても傾向は同じだが応答は全般に弱くなっている。コントロールランに見られる十年規模変動に起因すると考えられ,今後改めて調べる必要がある。図 10.6は 12月及び 2月の地上気温の「少氷ラ

ン-多氷ラン」の偏差場である。これによると 12

月は日本を含む東アジアを中心に有意に低温(図10.6a),2月は欧州~中央アジア~東アジアにかけ

図10.3 冬平均(12月~2月)の(a)T1000(K),(b)SLP(hPa),250-hPa高度(Z250: m)を先行する9月の北極海シベリア沿岸海氷域面積(SCI: 図10.1b)に回帰させた分布図。9月のSCIが2標準偏差減少したときに予測される偏差。SCIのトレンドは事前に除去している。色陰影は薄い方から差が90%,95%,99%で有意な領域。(c)の矢印はTakaya and Nakamura(2001)による定常ロスビー波の活動度フラックス(m2s-2)。データはNCEP-NCAR再解析。

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て有意な低温域が帯状に広がっており(図 10.6b),データ解析の結果(図 10.4)と比較すると多少の差はあるものの,極めて整合的な結果が得られている。モデル内では海氷以外の条件は同一なので(厳密に言えば陸域の状態は初期値ごとに異なる),シベリア沿岸の海氷の多少による影響とみなしてよい。SLPについても,12月の極東域の高気圧性偏差(図 10.6c),2月の高気圧性偏差の西方への拡大に伴う北大西洋振動の負のパターン(図 10.6d)の傾向はデータ解析の結果と整合的である。続いて 12月の例を中心に応答のメカニズムを考

える。12月の極東を中心とした低温は,およそ 1ヶ月先行してみられる(11月頃)欧州北部のバレンツ・カラ海付近の海氷偏差に伴って励起されたユーラシア大陸北部の定常ロスビー波の伝播とストームトラックのフィードバックによって概ね説明される。図 10.7は 11月の「少氷-多氷」の大気偏差場で,250-hPa面高度(Z250)ではバレンツ海上(70°N, 50°E)の高気圧性偏差から南東方向に定常ロスビー波が伝播し中央アジア(50°N, 100°E)の上空を中心に低気圧性偏差を形成している(図 10.7a)。

図10.5 大気大循環モデル(AGCM)の北極海シベリア沿岸 に境界条件として設定した(a)少氷,(b)多氷の海氷密接度の分布。(c)「少氷-多氷」の海氷密接度偏差。いずれも10月の例。(Honda et al. 2009)

図10.4 (a)12月及び(b)2月の地上気温(SAT)を先行する9月の北極海シベリア沿岸海氷域面積(SCI)に回帰させた分布図。9月のSCIが2標準偏差減少したときに予測される温度偏差。SCIのトレンドは事前に除去している。陰影は薄い方から差が90%,95%,99%で有意な領域。等値線は,±0.5,±1,±1.5,±2,±3,±6,±9…を示す(Honda et al. 2009)。(c-d)(a-b)に同じ。但し海面気圧(SLP)。等値線の間隔は1 hPaで,0 hPaは省略。

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図10.7 図10.6に同じ。但し11月の(a)250-hPa面高度(Z250: m),(b)250-hPa面の5日より短周期成分の南北風で評価されたストームトラック(vv250: m2s-2),(c)海面気圧(SLP: hPa)の偏差。(a)の矢印はTakaya and Nakamura(2001)による定常ロスビー波の活動度フラックス。(b)のストームトラックの評価は本文参照のこと。(d-f)(a-c)に同じ。但し12月。(Honda et al. 2009)

図10.6 AGCMを用いた数値実験による9-12月の北極海シベリア沿岸の海氷の多少に伴う,(a)12 月及び(b)2月の地上気温偏差(SAT: ℃ ; 少氷ラン-多氷ラン)。陰影は薄い方から差が90%,95%,99%で有意な領域。等値線は,±0.5,±1,±2,±3,±6,±9…を示す(Honda et al. 2009)。(c-d)(a-b)に同じ。但し海面気圧(SLP)。等値線の間隔は1 hPaで,0 hPaは省略。

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対応する SLP偏差場(図 10.7c)では,バレンツ海の北側(80°N, 30-50°E付近)で弱いながらも有意な低気圧性偏差,南側の大陸上で高気圧性偏差(60°N, 50-90°E中心)となっている。このようにユーラ

シアを横切る上空の波列に対して,バレンツ海付近を中心に下層では位相がおよそ 90度下流側にずれており,この応答が下層の熱的強制で励起されていることを示唆する。図 10.8aはこの応答の鉛直断面(図 10.7aの実線)で,位相の傾きはおよそ 700 hPa

より下層で顕著である。傾圧的な構造は擾乱による極向き熱輸送があることを意味し,活動度が上向きに伝播しやすいことに対応する。実際,フラックスの鉛直水平成分はバレンツ海付近を中心に上向き成分が顕著である。この定常ロスビー波の励起源と考えられるのは,海氷分布に伴う乱流熱フラックスの差である。図 10.8bの海面での顕熱及び潜熱フラックスの和の偏差分布は,少氷時にバレンツ海北部~カラ海は熱源(上向きフラックスが大),バレンツ海南部~スバーバル諸島は冷源になることを意味する。等値線は波の活動度フラックスの鉛直成分で,この冷熱源分布のペアに対応して上向き成分がピークになっており,また矢印で示された水平成分もバレンツ海付近で発散傾向であり,この乱流フラックス偏差が定常ロスビー波の励起源であることを意味する。定常ロスビー波の維持形成の力学・熱力学構造を

相対渦度と収束発散の鉛直断面の差の図(図 10.9)からもう少し詳しくみる。対流圏全体でみると,バレンツ海上空(70°N, 50°E付近)の高気圧性(負渦度)偏差(図 10.7a及び 9a)は中上層で等価順圧

図10.8 図10.7a-cに同じ11月の「少氷ラン-多氷ラン」の差。但し,(a)図10.7aの実線に沿った高度場(m)の差の鉛直断面。矢印はTakaya and Nakamura(2001)による定常ロスビー波の活動度フラックス(m2s-2)。(b)顕熱及び潜熱フラックスの総和の差(色陰影; Wm-2)。700 hPaの活動度フラックスの鉛直成分(等値線: 10-2 m2s-2)。矢印は図10.4aに同じ。(Honda et al. 2009)

図10.9 図10.8aに同じ「少氷ラン-多氷ラン」の差。但し,(a)相対渦度の差(色陰影; 10-5s-1; 正値が低気圧性)。破線は基本場(コントロールラン)の平均の西風(ms-1)。(b)水平発散の差(色陰影; 10-6s-1; 正値が発散),および鉛直風の差(色等値線; 10-2ms-1; 正値が上昇流)。

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構造を示しており(図 10.8a),50°E付近を境にその上流側(下流側)では対流圏中層を中心に上昇流(下降流)が見られ対流圏中上層の発散(収束)と下層の収束(発散)を伴っている(図 10.9b)。渦度収支的に見ると,上空の高気圧性渦度の上流側(バレンツ海北部)では,発散に伴う高気圧性渦度生成は基本場の上層の西風による低気圧性渦度の移流によってバランスする(図略)。一方下層では基本場の西風は弱まるが,相対的に南風偏差による惑星渦度(高気圧性)の移流が卓越し下層の収束に伴う低気圧性偏差生成とバランスする。下流側(大陸沿岸部)での渦度収支及び熱収支バランスは上流側と反対であることは明らかである。また熱収支的にみると,対流圏中上層では収束発散に伴う鉛直流による断熱冷却(上流)または断熱加熱(下流)は断面を直交する風偏差による暖気または寒気移流とバランスを保つように働いている。このような渦度・熱収支バランスの特徴は基本場の西風シアのある傾圧大気中を伝播する定常ロスビー波の構造に矛盾しない。続いて熱強制によるこの定常ロスビー波の励起の過程を詳しくみる。海面の非断熱加熱を冷熱源偏差と感じた大気下層は,冷源に暖気移流,熱源に寒気移流で応答しようとする。図 10.8bでは,南側の冷源偏差に西風,北側の熱源に東風の応答が期待されるため,冷熱源分布の中心(75°N付近)に低気圧性偏差を形成しようとする。しかし熱源上では低気圧偏差,冷源上では高気圧偏差を形成しようとする熱的減衰効果もあるため,低気圧性偏差の中心は上流側にずれ,下流側の大陸上には高気圧性偏差が現れることになり,これはシベリア高気圧発達のきっかけとなる。従って冷熱源分布上(バレンツ海)はほぼ全域が暖気移流となって高温偏差に覆われることになり(図 10.6a),上空の高度は上昇することになる。また,渦度バランスでみると下層の低気圧性偏差は水平収束を引き起こそうとする。これは対流圏中層の上昇流偏差とその上層の水平発散を要求,この発散に伴う負渦度生成は基本場の西風に伴う正渦度偏差移流によってバランスする,というように対流圏全体に応答が及んで,図 10.9で説明したよ

うな構造となる。このような構造は Honda et al.(1999)がオホー

ツク海の海氷の多少が励起する定常ロスビー波構造とも整合的である。バレンツ海付近で初冬を中心に応答が顕著にみられる理由は,この時期(1)寒帯前線ジェットが上空に位置し西風帯である,(2)海氷の拡大期である,(3)気候平均でも寒気移流場で海面からの乱流熱フラックスの絶対値が元々大きい,の 3つと考えられる。続いて 11月に励起された定常ロスビー波が 12

月の極東の低温に及ぼす影響を考える。図 10.7bは250-hPa面南北風の 5日以下の短周期成分で評価したストームトラック活動の偏差(vv250)である。波動の励起に伴って,11月はユーラシア大陸中央部の北緯 60度帯でストームトラックの活動が弱まっており,図 10.7aから推察される東風偏差と対応している。このようなストームトラックの弱化は南北方向の渦度フラックスを通じて北側で高気圧性偏差,南側で低気圧性偏差を強めるような働き,つまり初期構造を維持するようなフィードバック効果がある(Lau and Nath 1991など)。その後の時間発展をみると,ストームトラック活動の弱い領域は緩やかに東進し,12月には極東上空(50°N, 130°E付近)に中心を移している(図 10.7e)。上空では(図10.7d),南側の日本上空では低気圧性偏差,北側のシベリア沿岸ラプテフ海付近に高気圧性偏差が存在し,全体として構造が東進して維持されている(緩やかな東進のメカニズムは現段階で不明)。地表ではバイカル湖の東側を中心に高気圧性偏差がみられる(図 10.7f)。この下層高気圧は,北方に位置する上層高気圧性偏差(図 10.7a)に伴う下層の東風偏差が,下層の気候学的な気温勾配を横切るため寒気移流をもたらした結果形成されたものと考えられる(Takaya and Nakamura 2005)。これはシベリア高気圧の一部の発達に対応し,これに伴う北風偏差が日本を含む極東一帯に寒気をもたらしと考えられる(図 10.6a)。初冬の影響は海氷偏差の直接的影響を反映してい

るようだが,2月のユーラシア大陸上の帯状低温域

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形成(図 10.6b)の要因はまだ十分に解明されていない。シベリア沿岸付近に発達した対流圏全層に及ぶ高気圧性偏差(ブロッキング高気圧?)によるものと考えられるが,今後調べていく必要がある。夏季~秋季少氷時に続く冬は,海氷に覆われた後も北極海上は高温偏差が続き,またユーラシア大陸では積雪域が広がる傾向がある。モデルでも両者の傾向が見られており,陸海双方に何らかのメモリが残されているのかもしれない。

10. 4 近年の冬の概況

近年総じて高温傾向が続く日本の冬だが,この冬に限らず時々低温や大雪に見舞われている。最近では 2005/06年の冬が記憶に新しい(本田・楠 ,

2007)。また 2009/10年の冬は季節平均では暖冬傾向だったが,寒暖の差が激しく大雪となった地域もあった。図 10.1で示したように,2005/06年は極東~ロシア,2007/08年は西アジア~中国,2009/10

年は欧州~ロシア~極東の低温・大雪など近年の冬季は,欧州から極東にかけてのユーラシア大陸の中高緯度帯はしばしば強い寒気に見舞われており,日本への寒波の襲来も半球スケールの寒気の振る舞いの一端と考えられる。本研究のきっかけは日本が記録的な寒冬豪雪に見舞われた 2005/06年冬に先行する 2005年夏の北極海の海氷減少(当時の最小記録更新)であった。2005/06年冬の日本付近は 12月を中心に約 50年振りの非常に厳しい寒さに加え,広い範囲で大雪に見舞われた。2005年 12月の月平均の海面気圧(SLP)分布図をみるとシベリア高気圧(SH)とアリューシャン低気圧(AL)の発達が顕著であった(図略)。日本を含む極東の寒気のピークは 12月であったが,その後寒気の中心は大陸に移り,ロシア西部では 1

月としては 30年振りの寒さを記録している。一方北極海上は冬季を通じて広く高温偏差に覆われていた(図 10.1a)。

2007年の北極海の海氷面積は 2005年のそれを大きく下回り,更に強いラニーニャも予想されていた

ため,初冬を中心に低温になる条件は整っていた。実際蓋を開けてみると 2007/08年の日本の冬は後半にやや低温となったものの,初冬を中心に高温傾向で,冬平均では全国的にほぼ平年並であった。しかしお隣中国では南部を中心に 1月半ばから 2月半ばにかけ著しい低温と大雪に見舞われた(例えばTokyo Climate Center 2008)。この低温は中東から東アジアまでユーラシア大陸の中緯度帯を広く覆い,2007/08年の冬平均(12月~2月)場でもはっきりと確認できる(図 10.1b)。冬平均場の特徴をみると,北極域ではバレンツ海付近を中心に北欧からシベリア沿岸が高温偏差で覆われており,大陸上は欧州から中央アジアにかけて高気圧性偏差であった。続いて 2009/10年の冬をみていく。2009年夏の北極海の海氷域面積は過去 3番目に少ない状況であった。続く秋と冬も海氷の少ない状態が継続し,特に大西洋セクターのバレンツ海で顕著であった。11月以降,バレンツ海一帯では気温の高い状態が継続し,上空では等圧面高度場の上昇に伴ってしばしば高気圧性偏差に覆われた。これに伴う上空の偏西風ジェット蛇行はユーラシア大陸上の広範囲に寒気をもたらし,シベリア高気圧の形成発達を促した。バレンツ海上の高気圧偏差発生後,1~2週間後に日本を含む極東域に強い寒気がもたらされる事例がこの冬は頻繁に見られ,先に示したメカニズムと整合的であった(Hori et al. 2011)。冬を通じても北極海上の高温傾向に対し,ユーラシア大陸の中高緯度一帯は広範囲に渡って低温状態が持続した(図10.1c)。いずれの冬の特徴も,北極海上の高温偏差,ユー

ラシア大陸上の高気圧性偏差,その南側に広がる帯状の低温偏差であり,夏季~秋季の北極海の海氷域減少に伴う冬季に出現しやすい空間パターンと整合的である,ユーラシアに寒波をもたらした主要因のひとつと考えられる。

10. 5 まとめ

近年の冬季ユーラシアの低温の要因として,先行

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する夏~秋の北極海の海氷域減少が寄与していることがわかってきた。まず過去約 30年の観測データから両者の関係を調べたところ,夏季~秋季の北極海シベリア沿岸の海氷面積が例年より少ないと,冬季のユーラシアは広い領域で有意に低温傾向になることが確認された。つまり北極海の海氷減少に伴う冬季ユーラシアの低温傾向は普遍的な関係であることを示す。初冬の極東を中心に低温偏差をもたらす夏~秋の北極海海氷域減少の影響について,海氷変動に対する大気場応答の力学・熱力学過程を調べた。大気大循環モデルを用いて 9月~12月の北極海シベリア沿岸に海氷の多少を設定し,大気応答の違いを調べる数値実験を実施し,少氷時における冬季ユーラシアの有意な低温傾向を再現することに成功した。この実験によるバレンツ海付近の海氷変動に対する11月を中心とする大気応答の模式図を図 10.10に示す。秋の北極海の海氷減少は初冬の海氷拡大を遅らせる傾向にあり,露出した海面からの乱流熱フラックスにより大気が加熱されやすくなる。気候平均で乱流熱フラックスの絶対値が元々大きいバレンツ海付近は特にその傾向が顕著で,また上空は西風領域(亜寒帯ジェットにかかる)であるため,加熱偏差を強制源として定常ロスビー波が励起され,ユーラシア大陸上に伝播する。これに伴って北極海上は高温偏差,大陸上は低温偏差になりやすい。このように 11月を中心にユーラシア大陸上に形

成された定常ロスビー波列に伴って,大陸上にはシベリア高気圧のきっかけが形成される。季節の進行に伴って,対流圏上空ではストームトラックからのフィードバックによって循環場偏差の維持と東方への拡大が進み,12月には極東上空に達する。これに伴う地表付近の東風偏差は強い寒気移流を伴って大陸上の寒気蓄積を促進しシベリア高気圧の発達と東方への拡大をもたらす。その結果,初冬を中心に日本を含む極東域からユーラシア中央部にかけて寒気が入り易い状態が形成されることになる。冬後半の応答のメカニズムはまだ解明されてい

ない。しかし最近の幾つかの数値実験の結果は,北極海の海氷減少に伴って冬後半に北大西洋振動(NAO)の負の位相を形成しやすい傾向を示している(Deser et al. 2007; Seierstad and Bader 2008)。観測(図 10.4d)や数値実験(図 10.6d)のいずれも,負の NAOパターンを反映しており,今後詳しく解析していきたい。数値実験の結果に基づいて,各冬の振る舞いを調

べてみると,05/06年,07/08年,09/10年の冬のいずれも,バレンツ海上空付近に高気圧性偏差が現れたあと,ユーラシア広域に渡って低温偏差に覆われる事例が見られた。ユーラシア上の寒気は緩やかに東方に拡大する傾向があり,寒気が強いケースでは,1-2週間後に日本まで及ぶものもみられた。09/10

年の冬はこのような事例がしばしばみられ,日本でも一時的に強い寒気と大雪となり,寒暖の差が激しい冬となった(Hori et al. 2011)。

2005/06年及び 2009/10年の冬,北極域と中緯度とのあいだの寒気の交換の指標となる北極振動指数(AO)は冬を通じて負指数が持続,これは北の寒気が中緯度側に流出しやすい状況に対応し,冬の北半球各地の低温の元凶とされている。しかし AO

指数の変動は半球スケールの寒気の吹き出しの指標としては有効だが,どの地域に寒波が襲来するかまでは特定できない。また 05/06年冬はラニーニャ,09/10年冬はエルニーニョでもあった。記録の上では日本は前者は寒冬気味,後者は暖冬気味であったが,エルニーニョ /ラニーニャでは到底説明できな

図10.10 夏~秋の北極海の海氷減少に伴う,初冬を中心としたユーラシアの大気応答の模式図。

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い冬であろう。勿論北極海の海氷域変動で全てが説明されるわけでもない。近年,北極海の海氷は少ない状態が持続している。しかし毎冬ユーラシアが低温になっているとは限らない。実際,海氷減少で説明されるユーラシアの低温偏差は有意とは言え 0.5

~1度程度(図 10.2a)で,冬季ユーラシア各地の低温傾向には寄与しているものの,最近の強い低温を十分説明できるものではない。近年の冬,そしてこれからの冬がどうなっていくか,多角的な視点で監視していく必要あるだろう。最後に,夏季北極海の海氷域は長期的にみても減少傾向が予測されている。この傾向に伴って冬季のユーラシアはますます寒くなっていくのだろうか?答えは否定的である。最近,北極海の海氷域減少に対する気温場の応答が非線形的であることを示唆する数値実験結果も出ている(Petoukhov and

Semenov, 2010)。また,現在他の要素に比較して海氷域減少の著しさが目立つが,他の雪氷域(積雪・凍土など),海面水温,陸面の状況など気候変動の要因となる要素も変化しつつある。これらの変動は徐々に気候システムの基本場を変え,大気循環場も変わってくるであろう。これに伴って,海氷域変動に対する大気場の応答も十分変わりうることを考慮すると,ユーラシアの低温化が一層進むことは考えにくい。

謝辞

本研究を進めるにあたって,猪上淳氏には研究の契機を示唆していただき,山根省三氏には数値実験に関してご助力頂いた。

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