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3 大きく拡げる 「朝鮮大図絵」元山毎日新聞社、朝鮮総督府、1929 年 滋賀大学経済学部の母体となった彦根高等商業学校 (1923年~1944年)では、研究や教育に活用するため に、同時代のさまざまな文献、報告書、地図などを収集して いました。それらのなかに、吉田初三郎(1884年~1955 年)による鳥瞰図があり、現在、滋賀大学経済経営研究 所で保管されています。 大正の広重」と讃えられた初三郎の鳥瞰図は、大量に制 作、販売され、観光の必携とされたりおみやげ品として重宝さ れたりしました。初三郎式鳥瞰図は、その独特な構図によっ て、不思議な空間をつくりだし、それが見る人びとを魅了しま した。 彦根高等商業学校から滋賀大学経済経営研究所に伝 わった初三郎式鳥瞰図は、厖大な量がつくられたそのなかで も、かつての朝鮮にかかわるものが多くありました。それらを展 示したこの企画展をとおして、いまからおよそ100年まえのアジ アへと、鳥のように、飛びたってみましょう。 2017年1月 ごあいさつ 平成 28 年度企画展 のように ―鳥瞰図から 1 世紀前のアジアへ 2017 年 1 月 30 日 6 月 30 日 【編集・発行】 滋賀大学経済経営研究所 〒522-8522 滋賀県彦根市馬場 1-1-1 TEL 0749-27-1047 http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/index.htm 2017 年 2 月 14 日発行 (上)白頭山を画面上辺の中央におき、そこを 軸にして、朝鮮半島を大きく湾曲させる、吉田 初三郎独特の画法が用いられています。画面右 端では、日本列島が富士山を交点として直角に ねじ曲げられた線となり、画面奥の新潟、青森、 函館、小樽、札幌へとつづく地平が水平線と重 なってさらに、樺太(サハリン)、尼港(ニコ ラエフスク)、浦塩(ウラジオストク)、シベリ ヤ(シベリア)へ伸びて朝鮮半島につながって います。画面左端では、鴨緑江をわたる鉄道が 奉天(瀋陽)へつながり、そこを分岐点として、 ハルビン、北平(北京)、大連にも伸び、青島 や上海へも視線を届かせています。 (下)右に南山と漢江を、左に北漢山と北岳山 をおいて、そのあいだに京城(ソウル)市街を 描き、京城駅よりも朝鮮総督府庁舎よりもひと きわ大きくみせられた建物が、三中井呉服店で す。当時、三中井は、朝鮮銀行、京城郵便局、 中華民国総領事館が近くにある、京城の本町一 丁目に店舗をかまえて百貨店経営をしていまし た。おなじ通りには三越もありました。画面の 右奥には富士山が、左奥では鉄道が平壌(ピョ ンヤン)、奉天、大連へとつづいています。 ︿- - ( ) ( ) http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/index.htm 企画展 鳥瞰図から 1 世紀前のアジアへ 201 7 1 3 0 6 3 0 201 7 1 3 0 6 3 0 N d e g e o c e l l o [朝鮮大図絵] 元山毎日新聞社 「三中井呉服店御案内」三中井呉服店、1929 年

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Page 1: 3大きく拡げる3大きく拡げる 「朝鮮大図絵」元山毎日新聞社、朝鮮総督府、1929年 滋賀大学経済学部の母体となった彦根高等商業学校

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「朝鮮大図絵」元山毎日新聞社、朝鮮総督府、1929 年

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2017年

2月

14日

発行

□□

(上)白頭山を画面上辺の中央におき、そこを軸にして、朝鮮半島を大きく湾曲させる、吉田初三郎独特の画法が用いられています。画面右端では、日本列島が富士山を交点として直角にねじ曲げられた線となり、画面奥の新潟、青森、函館、小樽、札幌へとつづく地平が水平線と重なってさらに、樺太(サハリン)、尼港(ニコラエフスク)、浦塩(ウラジオストク)、シベリヤ(シベリア)へ伸びて朝鮮半島につながっています。画面左端では、鴨緑江をわたる鉄道が奉天(瀋陽)へつながり、そこを分岐点として、ハルビン、北平(北京)、大連にも伸び、青島や上海へも視線を届かせています。

(下)右に南山と漢江を、左に北漢山と北岳山をおいて、そのあいだに京城(ソウル)市街を描き、京城駅よりも朝鮮総督府庁舎よりもひときわ大きくみせられた建物が、三中井呉服店です。当時、三中井は、朝鮮銀行、京城郵便局、中華民国総領事館が近くにある、京城の本町一丁目に店舗をかまえて百貨店経営をしていました。おなじ通りには三越もありました。画面の右奥には富士山が、左奥では鉄道が平壌(ピョンヤン)、奉天、大連へとつづいています。

■場所:滋賀大学彦根キャンパス 

    総合研究棟︿士魂商才館﹀ 1階

    しがだい資料展示コーナー

■お問い合わせ:滋賀大学経済経営研究所

〒522-8522 滋賀県彦根市馬場一丁目一-一

電 話:0749(27)1047

FAX:0749(27)1397

http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/index.htm

企画

鳥瞰図から

1世紀前のアジアへ

のように

2017年1月30日  ⬇6月30日

2017年1月30日  ⬇6月30日

Ndegeocello

[朝鮮大図絵]

元山毎日新聞社

「三中井呉服店御案内」三中井呉服店、1929 年

Page 2: 3大きく拡げる3大きく拡げる 「朝鮮大図絵」元山毎日新聞社、朝鮮総督府、1929年 滋賀大学経済学部の母体となった彦根高等商業学校

 吉田初三郎が描いた鳥瞰図は、いまもとてもよく好まれ、美術館や博物館での企画展などでしばしば展示されています。ミュージアムショップでは、おみやげもののひと品として、そのレプリカが販売されることがあります。 鳥のように上空から、ひとが生きる社会を眺める――こうした欲望はいつの時代でも、どの場所に生きる人びとにも共有されていたのでしょう。初三郎よりもまえの時代を生きた絵師もまた、鳥瞰という視線を我がものとしていました。 20 世紀の帝国日本を絵師として生きた初三郎は、そうした時代と領野にみあうよう、朝鮮半島や台湾、そして中国大陸の各地を描きました。初三郎の鳥瞰図は、現代の台湾でも画集が刊行され、韓国の雑誌でもとりあげられています。

複製する4

吉田初三郎原作「湘南電鉄沿線名所図絵 復刻版」 横浜都市発展記念館2004 年

五雲亭貞秀原作「ペーパークラフト富士山 富士山真景全図」 神奈川県立歴史博物館 荘永明編撰「台湾鳥瞰図 一九三〇年代台湾地誌絵集」 遠流出版事業股份有限公司1996 年

LS Networks「보보담 Issue15, Winter」 LS Networks2015 年 東北歴史博物館「観光旅行 大正~昭和初期のツーリズム」 株式会社 オークコーポレーション2002 年

財団法人 三井文庫三井記念美術館「日本橋絵巻」 財団法人 三井文庫三井記念美術館2006 年

岡田直(横浜都市発展記念館)「図録 昭和はじめの「地図」の旅 横浜発日本ひとめぐり」横浜都市発展記念館2006 年 湯原公浩「別冊太陽 大正・昭和の鳥瞰図絵師 吉田初三郎のパノラマ地図」 下中美都(平凡社)2002 年

堀田典裕「吉田初三郎の鳥瞰図を読む 描かれた近代日本の風景」河出書房新社2009 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

編 集 名・書 名出 版 者 名発 行 年

 いまからおよそ 1 世紀=100 年まえの 20 世紀前期もまた、世界のあちこちがさまざまなネットワークで結ばれるグローバリゼイションの時代でした。当時の人びとも政治、経済、文化、教育、軍事、観光、歓楽、生活などを目的として、国境を越えて活動していました。 当時の朝鮮半島は、帝国日本の版図でした。そこにある名所旧跡、観光地、景勝地を訪れるひとにむけて鳥瞰図を載せた案内がつくられました。 朝鮮半島東海岸の金剛山は、内金剛、外金剛、海金剛からなる「奇峰峻嶺」の「世界的名山と賞讃される」と誇られた景勝地です。当時の京城から日帰りでもゆける内金剛探勝や 10 日間の内外金剛回遊など四季折々に楽しめる観光地でした。 朝鮮半島各地の気候、沿革、産業、商業などを知らせる案内にも鳥瞰図が載せられると、それが人目を惹きつける役割を果たしています。 朝鮮半島西海岸の南部に位置する港町群山。1899 年の開港という群山は、「米の港」として、また鯛に鰆の水揚げで知られてゆきます。町の西方となる丘陵には群山公園があり、春夜桜の眺めは「一大名所」となりました。

観光する懐 中 案 内1

「朝鮮金剛山交通大鳥瞰図」 朝鮮総督府鉄道局 1929 年「金剛山電鉄 金剛山探勝」 金剛山電気鉄道株式会社 発行年不明「金剛山」 朝鮮総督府鉄道局 1932 年版「群山案内」 群山商業会議所 発行年不明「慶州図絵」 朝鮮総督府鉄道局 1929 年「朝鮮旅行案内」 朝鮮総督府鉄道局 1928 年版「キャンピング」 朝鮮総督府鉄道局 発行年不明パネル「朝鮮金剛山交通大鳥瞰図」掲載写真パネル「慶州図絵」掲載写真

「朝鮮金剛山交通大鳥瞰図」朝鮮総督府鉄道局 1929 年

変形する彎曲と誇張2

 吉田初三郎の鳥瞰図は、彎曲と誇張による変形がその大きな特徴となっ

ています。この画法はさまざまな鳥瞰図で模倣されてゆきます。名づけて

初三郎式鳥瞰図。観光地にとどまらず、朝鮮半島各地の都市や町、さらに

は半島全体をも視界にとりこんだ鳥瞰図が描かれてゆきます。

 鳥の目を得たかのような初三郎の筆は、朝鮮半島をぐうんとねじ曲げて

その全体を一目で見渡そうとします。

 他方で当時の最先端をゆく百貨店を描くときには、「大京城」のなかに

その店舗をそびえ立たせるとともに、店内にも分け入って、各階の売り場

を案内してショッピングを楽しもうとする客を誘います。

「朝鮮大図絵」 元山毎日新聞社 1929 年「三中井呉服店御案内」 三中井呉服店 1929 年パネル「朝鮮大図絵」掲載地図パネル「三中井呉服店御案内」掲載店舗断面図

「朝鮮大図絵」元山毎日新聞社 1929 年

「三中井呉服店御案内」三中井呉服店 1929 年